最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)1400号 判決 1980年9月11日
上告人
株式会社
富屋百貨店
右特別代理人
三好泰祐
被上告人
安永静子
右訴訟代理人
米田正弌
米田功
主文
原判決を破棄する。
本件を高松高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人三好泰祐の上告理由について
原審は、商法一四条の適用に関する被上告人の主張について判断するにあたり、会社の代表取締役である取締役が死亡により退任した場合において、取締役が故意に不実の代表取締役就任の登記をしたときは、会社は、商法一四条により、その者が代表取締役でないことをもつて善意の第三者に対抗することができない、と解したうえ、上告会社の取締役である富田宏が、代表取締役である取締役富田照太郎の死亡後、なんらその事実がないのに自己が代表取締役に選任された旨の虚偽の取締役会議事録を作成して不実の代表取締役就任の登記をし、次いで、上告会社の代表取締役として同会社所有の本件不動産を被上告人に売り渡した、との事実を確定し、上告会社は、商法一四条により、右宏が代表取締役でないことをもつて善意の第三者である被上告人に対抗することができない、と判断している。原審の右判断は、会社の代表取締役である取締役が死亡により退任した場合には、代表権のない取締役が代表取締役の資格を偽つて申請した登記であつても会社がした登記たりうるとの見解のもとに、商法一四条を適用して上告会社の責任を認めたものであることは、その判文に照らして明らかである。
しかしながら、商法一四条は、不実の事項を登記した者に故意又は過失がある場合には、その登記を信頼して右登記者と最引関係に入つた者を保護し、その限りにおい不実の登記という外観を作出した者に責任を課した規定であるから、同条が適用されるためには、原則として、右登記自体が当該登記の申請権者の申請に基づいてされたものであることを必要とし、そうでない場合には、登記申請権者がみずから登記申請をしないまでもなんらかの形で当該登記の実現に加功し、又は当該不実登記の存在が判明しているのにその是正措置をとることなくこれを放置するなど、右登記を登記申請権者の申請に基づく登記と同視するのを相当とするような特段の事情がない限り、同条による登記名義者の責任を肯定する余地はないといわなければならない。しかるに、前記原審の認定した事実によれば、本件登記は富田宏が上告会社の代表者としてした申請に基づいてされたものであるところ、右富田宏は、上告会社の単なる取締役であつて、代表取締役に選任された事実はないというのであり、右のような単なる取締役は、法律に特別の定めがある場合を除き、会社を代表して登記申請その他の対外的な行為をする権限を有せず、このことは、会社の代表取締役が死亡により退任したため、会社を代表する権限を有する者を欠くに至つた場合でも異なるところはないから、前記登記は、結局、上告会社の代表権を有しない者がほしいままに会社代表者名義を冒用してした無効の申請に基づくものであり、上告会社の申請に基づいてされた登記ということができないものである。
そうすると、前述したように、本件登記を上告会社の申請に基づく登記と同視することができるような特段の事情のない限り、右登記につき商法一四条を適用して上告会社の責任を肯定することはできない筋合であるところ、原審は、かかる特段の事情の存在を認定することなく、直ちに上告会社に右規定による責任を認めたのであるから、原判決には右規定の解釈適用を誤つた違法があるといわざるをえない。そして、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすものであることは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
よつて、さらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すことにし、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(中村治朗 団藤重光 藤崎萬里 本山亨 谷口正孝)
上告代理人三好泰祐の上告理由
原審判決には次の通り、判決に影響をおよぼすこと明らかな法令の違背があり、それは法令解釈の誤りだけでなく、先例違背ともなつている。
一、我商法は第一四条において、不実の商業登記に関し「故意又ハ過失ニ因リ不実ノ事項ヲ登記シタル者ハ其ノ事項ノ不実ナルコトヲ以テ善意ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得ズ」と規定している。これは次のような趣旨に基づいて、昭和十三年の法改正により設けられたものである。
商業登記の効力は登記された事実が存在することを前提としているのであり、基礎たる事実が存在しなければ、登記および公告がなされても何等の効力を生じないものである。その意味では商業登記はいわゆる確保的または宣言的効力を有するにすぎず、その事実が存することの一応の推定すなわち事実上の推定的効力を有するということは認められるにしても、法律上の推定的効力までも有するとか、あるいは法律上の推定を基礎づけ、挙証責任を転換する効力までも生ずるものではない(最判昭和三四年七月二日判決ジュリスト一八八号)。
それは、登記官の審査権について、形式審査主義・実質的審査主義の見解の違いはあるが、実質的審査主義の立場に立つたとしても、登記事項の真否を調査する職務権限は事実上ほとんど行使されず、登記につき法律上の推定的効力を認めるだけの真実性を有していないと解されているからである。
従つて、登記・公告がない限り、たとえば事実が存在する場合でも善意の第三者は、この事実を認める必要はないのであるから、その意味で、商業登記は消極的な面における公信力はあると言えよう。しかしながら、登記した事実が真に存在しない場合にも善意の第三者に対しては登記・公告と同一の効力がみとめられるという意味においては、積極的ないわゆる公信力は存しないのである。
ところで、もし法が右の点でとどまるならば、一般公衆は必ずしも登記・公告に信頼することができなくなり、自らの権利を確保するためには一々事実を自ら調査しなければならなくなり、登記に対する信頼はなくなり、商業登記制度の効用はいちじるしく減殺される結果となる。
そこで商法は公信保護の見地(説明概念は後述の通り多様である)から「故意又は過失により不実の登記をした者は、その事項の不実なことをもつて善意の第三者に対抗することができない」としたのである。
右法条の基本精神の説明として、公信保護の見地あるいはいわゆる外観法理、又はいわゆる禁反言法理等々を根拠として種々な説明が試みられているが、右法条の結果として、部分的にであるにせよ、商業登記に公信力が附与されたと同じ結論を認めたのは否定できないところである(大判昭和一七年一月三一日新聞四巻七六〇頁)。
ただ我法制は、正面から登記に公信力を認めたわけではなく、本条(商法第一四条)は第三者保護のための例外規定であることもまた明らかである(大判昭和一八年二月十二日民集二二巻四三頁)。
二、以上の通り商法第一四条は、公信力を正面から肯認していない我法制の下で、商業登記を信頼した善意の第三者をいかに保護するかという配慮から明文化されたものであるが、以下その点について本条の要件について検討する。
(1) 不実の登記に対する信頼が保護されるためには、その登記が当事者の故意・過失に基づくことを要する。
従つて本条では①不実の登記の存在②当事者の故意過失、そして③不実の事項を登記した者、および④第三者が善意であること、が要件とならなければならない。
(2) 本件においては、原審及び第一審ともに、本件不動産処分行為のなされた時点における代表取締役選任登記については、それが不実である旨肯認しているのでここでは検討しない。
(3) ところで、本条では明文上「登記シタル者」の「故意・過失」を要件としているが、この意義については一考を要する。
すでに述べたように、本条の趣旨として、一方で保護すべき第三者が善意であることを要するとして、他方では帰責者の故意・過失を要件としているのであるが、もし仮りに本条が公信力を認め、我法制が公信力を保障する法体制を講じているのであれば、帰責者の帰責事由(故意・過失)は問題とならないと思われる。公信力を認めていないからこそ、この点について帰責者に帰責事由が要件とされ、その要件のもとではじめて、善意の第三者を保護しているのである。そしてそのことによつて商取引における、いわゆる動的安全と静的安全の調和をはからんとしているのである。
この意味で、前記大判昭和一八年二月一二日(民集二二巻四三頁)はその理由中において、「商法第一四条ノ規定ニ該当スルカ如キ場合ハ格別一般ニ登記ニ公信力ヲ認メサル我法制ノ下ニ於テハ本件取引ニ付所論ノ如キ解釈ヲ容ルルノ余地ナ」しとした妥当な理解であり、本条解釈の基本的理解として先例的意義は失われていない。
(4) 前記③の『不実の事項を登記した者』については、相対的に評価しなければならない。
本条にいう「不実の事項を登記した者」とは登記当事者である。登記官の過誤や第三者による虚偽の申請の場合には本条の適用の余地はない。
尚、不実登記の存在を知りながら故意・過失によりこれを放置した登記義務者や不実の登記に対し自己の同意を与えた者も、本条の適用あるいは類推適用はさしつかえない。
しかし、登記義務者であつても、不実登記の存在を知らなかつた者や、不実登記に何等加功していない者に対してまで本条を拡張することはできない。それは、本条の基本的な趣旨である前述の帰責者に帰責事由(故意・過失)を要するとの要件を無視する結果になるからである。
このように、『登記した者』の解釈に当つては、単に登記名義人が誰であるかによつてのみ決するのではなく、登記手続の具体的行為者・帰責事由は誰にあるのかを総合的に考慮して決しなければならないし、少くとも帰責者には必ず帰責事由が備わらなければならないのである。
(5) 善意の第三者
本条に言う善意の第三者とは、登記を真実であると積極的に信頼したことまでは要するわけではないが、登記と事実とが相違しているということを知らない者でなければならない。
三、以上の諸点を前提に本件を考えてみると、次の点で法令違背がある。
(1) 原審判決はその理由中の判断でイ、被控訴会社代表取締役の選任懈怠
ロ、代表取締役選任に関する不実の登記をそれぞれ認定したうえで、
ハ、商法第一四条の解釈として『商法一四条にいう「善意の第三者」とは不実の登記記載と同一事項について善意であれば足りると解されるから、被控訴会社は富田宏がその代表取締役でなかつたことをもつて控訴人に対抗することができない。』と断じている。
(2) 右判断イ、について、
原審判決は、前述の商法第一四条の「当事者の故意・過失」について誤つた解釈をなしている。
原審判決では、この被控訴会社代表取締役の選任懈怠を(明言はしていないが)、「当事者の過失」と認定しているやにうかがえる。
しかしながら、この点については、原審判決は、登記義務者と具体的登記手続の行為者、そして帰責事由と帰責者を混同していると判断せざるを得ない。
原審の認定では富田宏の代表取締役選任登記及び富田英一の代表取締役選任登記もすべて不実登記としているのであり(上告人は、この富田英一の代表取締役選任登記が不実登記であるという点については原審は重大な事実の誤認があるものと考える)、上告人会社として適法な選任登記をなしていない点に上告人会社の懈怠を根拠づけているのである。
しかし、帰責事由と帰責者との関係は相対的かつ個別的・具体的に判断しなければならないのである。
すでに原審における上告人の主張のごとく、昭和三九年十二月十七日のいわゆる第四次総会(但しこれは虚偽のものである)に基づき、富田宏は偽造文書を作成(刑事事件で宏は有罪となつている)し、代表取締役選任の不実登記をなして、その翌日に本件売買をなしたのであるが、その以前においても同人は不実登記をくり返しているのである。真正な上告人会社の代表者である富田英一は本件売買直前の登記も、それが不実登録であることに気づくや否やわずか二〇日間で真正な実体を反映する登記に改めたのである。又それ以前においても宏の不実登記を発見するために真正な登記を一貫してなして来ている。
従つて、かような場合、本条をいかに適用するかについては、富田宏に本条を適用することは登記手続の具体的行為者でもあり、その時点の名目上の代表者であるから可能であるにしても、その行為が犯罪行為によつて成り立ちかつ真正の代表者が、この不実登記を放置したり、あるいはこの行為に加功したりしていない本件の上告人に対してまでも拡大解釈することは許されず、帰責事由のないところに、責を負わせることになる。
附言するに、原審判決には、その理由判断の前提において重大な事実の誤認があり審理不尽のそしりを免れない。
その第一は、本件上告会社の真正な代表者について、何等その根拠を示すことなく富田英一を適法な代表者として認定していないこと。
その第二は、本件不動産売買のなされた前後の事情の中で富田英一が、富田宏の無茶な行為から本件会社を守るためどのような注意を払いなにをして来たか、そしてそれが通常自然人なら最大限の努力をなしているという点について何ら判断していない。
これに加えて、原審は帰責事由と帰責者との関係を包括的に考察するにとどまり、よつて原判決に至り商法第一四条違背という結果に陥つたのである。
本件においては、それを詳細に検討してみるならば、その適正な代表者は誰か、その実体を反映した登記はどうであるかの判断に及び、その具体的登記行為者と帰責事由を考察するならば、本件については上告人には商法第一四条の「故意・過失」はなく同条の適用がないという結論に至らざるを得ないのである。
(3) 右判断ロ、について
代表取締役選任に関する不実の登記についての原審の判断は、本件売買当時の代表者の登記が不実であることを認定していることは正鵠を射ているが、富田英一が代表者である旨の登記まで「不実」と判断したことは重大な事実誤認である。この点については三(2)で述べたので省略する。
しかし、この認定をなしたことがひいては判決の結論に重大な結果を与えたことは看過しえない。
(4) 右判断ハ、について、
原審は、商法第一四条の解釈として「善意の第三者」は不実の登記記載の同一事項について善意であれば足りるとだけ論じて、同条の他の要件事実を掲げることなく結論を導いていることは法令違背としか言わざるを得ない。
すでに二で述べた通り①〜④の要件が具備している場合に始めて本条の適用をみるのであり、原審のこの点についての判断は早計のそしりを免れ得ない。
四、商法第一四条の適用範囲と限界
商取引の増大とその敏活・迅速性からすれば確かに商取引の中での、いわゆる動的安全は最大限保障されなければならない。とりわけ手形・小切手の取引等においては、本条に基づく外観保護という側面よりは、その取引そのものが、経済生活の中で保護される必要があるし、その限りにおいて、本条もその趣旨を最大限生かさなければならない。そしてその限りで類推解釈・適用も可能である。
ところで、本条の適用が問題となつてくる場合、本来的には、実質判断からして誰にその行為の帰責を可能ならしめるかの判断を前提にしなければならないのであつて、とくに真正な代表者でない者により、代表取締役の不実登記がなされ、その者が会社資産を勝手に処分することを、結果的にであるにせよ肯認することは、会社資産保護という点からみても許されないことである。
とりわけ我法制下において、その取引自体が保護されているとは言えない、本件のごとき、不動産取引にあつては商人以外の取引とのバランスを保つことが不可能となり、本条の適用に当つては慎重に決しなければならない。そして、このような場合には本来の原則に立ち返り、本条が意図した動的安全と静的安全の調和点を具体的結論において導かなければならない。
してみると本件にあつてはいずれも本条の対象外と結論づけなければならない。
五、近時の判決例と本件事例
最判昭和四七年六月一五日(民集二六―五―九八四)は取締役でない者が取締役就任登記を承諾した場合、不実登記の出現に加功したものであるとして、その者に対しても本条を類推適用すべしとしており、下級審判決例においても、不実の商業登記の存在の登記義務者の重大な過失によつて、知らないまま放置された場合(東京地判昭和三一年九月十日下民集七―九―二四四五)あるいは、現になされている虚偽の登記を是正すべき措置義務者がこれを放置した場合(東京高判昭和四一年五月十日下民集十七―五六―三九五)等にも本条の適用がある旨判示しているが、これらはいずれも本条の解釈として、社会的妥当性をもつて迎えられているものである。
ところで、これらの事例の多くは、その対象である取り引きが手形取引であり、高度に取引の安全性を要求されているものである。
さもなければ、法律上判断として、当該帰責事由を帰責行為者に負わせるべき妥当な理由のある場合に限られているのである。
ここで本件をみるに、このような事例のいずれにも属しないものであり、あえて犯罪行為で成り立つている不実登記にまで、当然の理のごとく本条の適用を認める原審判決は断じて破棄を免れないのである。